無番地

趣味のこととか。

静電気のとどく範囲で

考えていても仕方がないので、℃-uteのツアーに行って、こういう生活ももう終わるんだと思えばすべてが楽しいのですが、それでもやっぱり感じることはいろいろあるのでした。いまから書くことは、イベントがあってもほかの予定を優先しているような、4月以来半年も握手すらしていない私みたいなファンが言うことじゃないとは思っています。

チームの規模感

でも、そう思わせてしまうこと自体が℃-uteというチームの最大限の大きさだったんでしょ?と思うんです。

ファンが増えるということは、1年に1度だけ見に来る人、アイドルのコンサートというハードルの高さに対して勇気を出して来てくれる人、ハロプロのしきたりを知らない人、そんな人たちをも相手にしていくということです。どんな曲にどんな思い入れがあるかとか、静かなのが好き賑やかなのが好き、もっと卑近なところでアイドルとはどうあるべきなのかという意見だって千差万別。

そういう大勢の個々人を相手にするには℃-uteはやっぱり不器用すぎたのでしょうか。

もう、℃-uteを好きでいてくれる全員が全員、毎日ブログを読んだりツイッターをフォローしたり、ライブがあれば半分くらいは来たり、イベントも行ける日はぜんぶ行ったり、というような人ではないのです。メンバー個々人の性格を熟知したうえでそれでも好きだと言っているわけではないのです。

たしかに、一挙一動、一つの発言、一つの報道がどういう影響力を持つのか、ということを考えるのは、まったく本質的ではないとは思います。しかしながら、そこをクリアしなければこれ以上大きくなれなかったというのも事実だと思います。本人たちにそのつもりがなかったとしても、現状は(いや、これまでも)、「いま現場に来ているファンのマジョリティ」が喜んでくれればOKというのが第一でありすべてなんですよね。

ほんとうは「℃-uteってかわいいですよね」「一度行ってみたいんです」って言ってくれてる人はたくさんいたんですよ?*1

チームの功罪

そんなわけで先日の大阪公演でも、「昼公演で(コールを)お願いしたら夜公演ではもうやってくれる、すばらしいファンの方たち」みたいなことを未だにやっているわけですが、なんで1日2公演見てるファンをメインに据えるんでしょうかね…それこそ最後だから書いてしまいますが、こういう発言をされると私はとても残念な気持ちになります。

team ℃-uteという合い言葉は、℃-uteのメンバースタッフそしてファンをつなぎ止める楔として、厳密には梅田えりかさんが卒業するときに、そして具体的には東日本大震災後のツアーファイナルから使い始められた言葉です。℃-uteが少数派だったころはこれがほんとうに機能していたと思うんです。多少の違いは気にせずファンはとにかく℃-uteのために頑張れた、と信じています。

いまなお、あのころの感覚でマジョリティのファンを相手にしているのだとは思います。だけど、たしかに一つひとつは100人ファンがいたら95人は納得できることなのかもしれませんけれど、それが10個もあれば100人中20人くらいはなにかしら納得できない部分が出てきてしまう、そういう状況になっている気がします。

そうじゃなくて、極端に言えば100人のうち40人が納得しなくても新たに良いなと思ってくれる人を100人を増やす、みたいなことをやっていかなければ、続かないんだと思うんです。そういう小さいようで大きい部分に最後まで届かなかったのかなぁと思う気持ちがどうしても、どうしても残ってしまう今日このごろです。

「じゃあなんであのときあんなこと言ったんだよ」とか「いい加減コール増やすのやめてくれ」とか言い出したらきりが無いんですが、ひとつだけどうしても。SHINESという曲は、私にとって特別な曲なのです。あの歌詞に何度も救われてきたし、そして、なっきぃって何度もコールできる数少ない曲なのです。それを悪気無く壊さないでくれよ…という思いはわりとあります。

よみがえる光景

それでもこんなMVを見れば思い出すのは、キッズを見たとき、そしてなっきぃと話したいろんなこと…。


℃-ute『愛はまるで静電気』(℃-ute[Love Is Like Static Electricity])(Promotion Edit)

いや、私だって幸せでしたよ。それはいまも変わらないです。ほんとうに。

*1:もちろんそういう人たちを実際に連れて行けなかった私にも責任はあるのだと思いますけれど

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