℃-uteは賽を投げなかった
先日、℃-uteの解散が発表されました。
まだ気持ちの整理はつきませんが、ハロコンにBuono! Festaに℃-uteの日などとライブやイベントはどんどん行われていくので、何かしら書き残しておこうと思います。
12年は実質的に永遠
アイドルはスポーツ選手などの職種と一緒で、毎日が勝負の連続、来年には活動できなくなっているかもしれない、しかも年齢という逆らえない自然法則が存在する職業のひとつです。そのようななかで、多少のメンバーの変化はあれど2005年の結成からすでに12年目に突入しているというのは、もうそれはとてつもなく長い時間というか、時間という概念を超えて存在している永遠みたいなものです。
そんな長い期間にわたって℃-uteは多くのファンの夢を受け止め続けてくれました。理不尽な、あるいは制御できない状況のなかで不器用に戦い続けた℃-ute。アイドル冬の時代をしのぎ*1、アイドル戦国時代になお潜り*2、ハロプロ内部ですら特別注目もされず*3、それでも気づけば多数のアイドルから尊敬される存在にまでなっていました。
そもそもアイドルが少なすぎる時代に、実力と無関係に大きすぎる期待を受けていた2007年の℃-ute。突然アイドルが増え始めた中で明らかに波に乗り遅れた2010年の℃-ute。ついに握手会を中心とする販売形態に舵を切った2012年の℃-ute。いろいろあったけれど、きっといつだってまっすぐでした。
裏付けなんてほんとうは何も無いけれど、だけど「℃-uteこそパフォーマンスが良い」とか「℃-uteこそバランスが良い」とか、必ずしもそうじゃないときも実はたくさんあったけれど、とにかく℃-uteが良いんだと信じることは救いでした。アイドルの売り方や曲や現場の雰囲気がどんどん変わっていっても、それがあまり望ましいものでないように思えても、「℃-uteなら将来的にこの現状を変えられる」と思えるグループでした。
私もそんな℃-uteに夢を託してきました。「こんなに理不尽でもこんなに前向きに頑張れるグループを見ると救われる」とか、ときには「だからこそもっと目立ってほしい」などと決してスター集団ではない彼女たちにスター性を求めることもありました。だから、これからも、自分が夢を追うとき、ずっと同じように夢を追ってくれると思っていました。自分が夢を追えないとき、それでも淡々と職人であるという側面を見せてくれ続けると思っていました。
でも、それもあと9ヶ月。
すべてが夢物語
ここまで話が大きくなったのは、すべては2002年6月30日、日韓ワールドカップ決勝が行われたあの日、ハロー!プロジェクトキッズ15人の合格が発表されたあの瞬間からです。小学生15人を採用する、しかもそのうち6人は低学年という暴挙。もうこんなことは二度と無いでしょう。スタートがそもそも半分冗談みたいな話だったのです。
思い出MC
— ultramarine (@umarine) 2016年9月5日
岡井「あれ(自分たち)以来会社が小1とか小2とか採らなくなった、私たちに手がかかりすぎたからかな」
多分そうだと思うんだけど、でもあの小学生15人を採用するという21世紀最大の無茶があったからキッズがBerryz工房がそして℃-uteが存在したんだよ。
だけど、単に若くからはじめたから長く続いたという話ではなくて、ちょっとずつ℃-uteなりに変化を続けていまに至っているのも事実です。だから、12年も続いた。だけど、さらに続けるにはまた変化が必要だった。そういうタイミングだったのかなと思います。変化は痛みを伴います。その先にそれなりの確率でもう少し大きい幸せがあると分かっていても、それでもリスクがあります。そんななかで、日々もがきながら前に進もうとしてきた期間を、間違いなく幸せだと思えるうちに終わりにする自由が、彼女たちにはあるはずです。
今回も、ハロプロを卒業してグループを続けるという選択肢があったわけですから、その勝負はできたと思います。そしてそれに挑まないのは勝負師としてはダメなんだと思いますが、優しい℃-uteらしいとも思います。そういえば、いまほど売れていなかった頃、私は「いまもしここで℃-uteが終わっても、ファンは素敵なグループがあったことを忘れない。それはそれで幸せ」などと言っていた気がします。結局そういうことなのかもしれません。
ベリキューをこのままにするならそれでも良いかなって思う瞬間もある.このクオリティを保って閉じた中でやっていく選択もあると.例えば30年後に「℃-uteが如何に素晴らしいグループだったか」を語れる人って,まあ5000人くらいはいるでしょ.それで幸せって見方もあるとは思うの.
— ultramarine (@umarine) 2011年8月16日
賽は投げられなかった
毎回のことですが、たとえばコンサートではフルコーラスでやってほしいとか、もう少し演出に凝ってほしいとか、グッズもオシャレにしてほしいとか、とにかく思うことはたくさんありました。そういうところをひとつずつ進化させていけば、℃-uteはまだまだ可能性のあるグループだと感じている人は少なくなかったと思います。でも、最後まで℃-uteというのは、いままでハロプロで行われなかったことを行う、ということをほとんどしないグループでした*4。
あるいは、もっとほかのグループをぶっちぎる何かを見せつける、というようなことも苦手なグループでした。そういう機会がセッティングされればちゃんと圧倒できることはみんな知っていました。2013年の冬のハロコンでモーニング娘。のThe 摩天楼ショーを歌ったり、2013年2月のバースデーイベントでモーニング娘。のHelp me!!を愛理と千聖の2人でやったり。見れば上手いな、と思うのだけれど、それを主張するのがあまりにも下手だったといえば、都合良くまとめすぎでしょうか。そうこうしているうちに後輩も育っていて、小田さくら・宮本佳林の「悲しきヘブン」はすごかったし、この夏のハロコンなんて、もうどのグループも上手いんだなと思ってしまう状況*5。
9月5日も℃-uteの日、という先日のコンサートはとても素敵でした。本気を出せば、シングルA面の43曲をある程度順番を考えながら並べて、武道館みたいな大きなステージで場位置の移動も込みで作り上げるという恐ろしいことができてしまうのです。「だったらふだんからやれば良いのに」「この労力こそ1回きりではなくてツアーみたいに何度もやるものに割くべきなのでは」と思いますが、最後に良いものが出てくるのはハロプロの様式美といったところでしょうか*6。
どこかでもう一歩、もう半歩振り切ってしまえば別の世界があった気がしてなりません。
正直言うと、きょう43曲聴いてて、℃-uteってほんとうはもっとチャンスがたくさんあったグループなんじゃないかと思った。最後までナンバーワンになろうとしなかったというか、なろうと「できなかった」グループだと思う。みんなのオンリーワンであることも素敵だけれどね。
— ultramarine (@umarine) 2016年9月5日
そして賽はしまわれる
℃-uteのメンバー5人はこの数年、℃-uteを続けていくことでいろいろな夢を叶えたいと言ってくれていました。たとえば2015年10月発売の月刊アイドル新聞10月号を見ると、
アイドルというと一般的に、だいたい二十歳ぐらいまでかな、みたいな思いがあると思うんです。アイドルはこうだみたいな考えを℃-uteが破りたい(矢島)
みんなでもっともっと力をつけて老若男女に好かれるアイドルになりたい(鈴木)
今は辞めることは考えられないです。後悔しそうだから。まだまだ続ける気満々です(萩原)
といった感じです。
ただ、去年の今頃は解散なんてまったく言っていなかったということは、そんなに不思議ではない気がしています。アイドルは「組織に所属しているので基本的には社員として働くけれど、外の世界では主に自分の実力で測られる」という仕事をしています。私もある意味でこのタイプの仕事をしているのですが、ある日突然風向きが変わって、一瞬にして当たり前が当たり前じゃなくなることが往々にしてあります。それは、発言が無責任だというようなことではなくて、みんなが実質的に自営業として動いて真剣に判断しているからだと思っています。
あらためて、中島早貴さん
解散発表当初の状況下で中島さんがコンスタントにブログを更新して前向きな文章を綴ることに対して「さすがなっきぃ」という声が上がりました。それはありがたいだろうし、仕方ないし、それが中島早貴さんが℃-uteで果たしてきた役割だと思います。
でも。
芸歴15年目とはいえ中島さんは22歳、現役で大学を卒業してもまだ社会人1年目という年齢です。それでいて、キッズ時代含めてハロプロで、℃-uteでエース的な役割を果たしてきたことはただの一度もない。℃-uteであることだけが自分の強みであると本人が言っていた人です。℃-uteのために動いてきた11年間、特にメンバーが5人になって以来のこの6年間、誰よりも℃-uteという看板があってこそ活躍できてきた人間であることは本人がいちばん分かっているのではないでしょうか。その看板を外す、しかも自分が抜けるのではなくぜんぶ閉じることが誰よりも不安なのは中島さん、それがなかなかうまく伝えられないのもまた中島さんなのではないでしょうか。
さすがなっきぃだ、という声に、私は少しだけ心を痛めています。それでも、ほかのメンバーのファンの方の心の拠り所になるのであれば、それが最後まで℃-uteの中島早貴さんたるゆえんなのだとは思いますけれど。
ぼくらが旅に出る理由
遠くまで旅する恋人にあふれる幸せを祈るよ
ぼくらの住むこの世界では旅に出る理由があり
誰もみな手をふってしばし別れる
(ぼくらが旅に出る理由/小沢健二)*7
いまのところ、ライブやイベントが終わるたびに、初めて経験するような疲れに襲われています。でも、あと9ヶ月、最後まで適当にして最高なMC、どこまでもすさまじいステージ、まっすぐすぎる姿を見せてくれたらうれしいなと思います。そして、なによりも彼女たちの幸せを願っています。一人ひとりのこれからの人生で、これまでのように誰かから夢を託される人であってくれたらうれしいとも思います。5人は、おそらく当人が思っている以上にとってもすごくて、しかもまだまだ若い人たちなのですから。
*1:そもそも℃-uteがごたごたしていましたが、そうでなくともアイドル自体が目立てない時代でした
*2:PerfumeやAKB48が冬の時代を終わらせ、2010年頃からアイドル戦国時代が到来したとき、ハロプロからその戦いに出向いたのはスマイレージでした。℃-uteは2012年のアイドルイベントへの出演が初の対外試合で、しかしそこでほかのグループを圧倒しすぎたのはいまとなっては有名な話
*5:率直に言って、歌はJuice=Juiceのほうが上手いですし、ダンスももっと本格的にダンス経験のあるメンバーが増えてきました。もちろんそういう技量以外の部分を含めてみれば℃-uteはさすがなのですが
*6:ほかにも卒業するメンバーにはクオリティの高いソロ曲のMVが製作される、など。これもふだんからやれば良いと思うのですが
*7:この曲が収録されているLIFEという名盤がリリースされたのが1994年、まさに中島さん・鈴木さん・岡井さんが生まれた年ですね